2024年3月13日水曜日

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管理人について

日本基督教団茨木春日丘教会(礼拝堂の建物名「光の教会」)牧師

関西学院大学非常勤講師


総目次

茨木春日丘教会関連(目次)


キリスト教事典(目次)

宗教学事典(目次)


その他の原稿・読み物など



『信徒の友』掲載原稿の改訂版



『教会学校教案』の元原稿の改訂版
創世記 37章1-11節 「ヨセフ1」(2013年7月7日)
創世記 42-45章 「ヨセフ3」(2013年7月21日)
ルツ記 「ルツ」(2013年9月22日)


#旧「大石アーカイブス」

2024年3月10日日曜日

キリスト教事典(目次)

ーあ行ー


ーか行ー

ーさ行ー


ーな行ー

ーは行ー

ーま行ー


ーら行ー

ーや行ー


ーNー

ーMー
Montanism, Montanus        

ーRー
Reformed Church        

ーSー

2024年3月8日金曜日

日本基督教団 茨木春日丘教会 (礼拝堂名:光の教会)

ーー目次ーー

お知らせ

光の教会オルガンコンサート 2023年11月5日

「バッハ『ライプツィヒ・コラール集』と、その他の珠玉のバッハ・オルガン曲」

(第1回/全3回)

プログラムと当日配布レジュメ

楽曲解説の全文原稿


建物見学の当面の停止について

Suspension of Building Tours

動画

光の教会にある謎の階段 / Mysterious stairs of Church of the Light


ブログ的な記事

「私が着任した当時(2012年)の茨木春日丘教会(光の教会)その2ーー制限問題」

About the situation at the time of my arrival (2012), especially the Holy Day service

「教会創立50周年記念礼拝 礼拝説教全文」

 「私が着任した当時(2012年)の状況についてーー特に聖日礼拝の様子」


画像(pictures)

講壇付近(Church of the Light / pulpit)



教皇ボニファティウス8世

教皇ボニファティウス8世 Bonifatius VIII, 在位1294-1303 CE

要約
カトリック繁栄の最盛期、教権優位を主張したためにフランス王フィリップ4世と対立し、1303年に襲撃を受け、救助されたものの間もなく病死。いわゆる「アナーニ事件」「ボニファティウスの憤死」。以後、カトリック衰退。

本文
 教会への課税問題を巡ってフランス王フィリップ4世と教会課税を巡って対立し、1303年に別荘のアナーニにてフランス軍の襲撃と侮辱を受け、その後まもなく病死した、いわゆる「アナーニ事件」、または「ボニファティウスの憤死」で知られる。彼の死後、フランスとの関係の悪化は決定的となり、力関係の逆転も生じて、教皇座がアヴィニョンに移されたままとなる、いわゆる「アヴィニョン捕囚」が起こる。

 ちなみに、彼はビザンティンからルネサンス期の画家ジョット・ディ・ボンドーネの後援者。ボニファティウスは1300年に聖年を定めたため、当時のイタリアは潤い、ルネサンス文化の開花が始まっていた。なお、ダンテはフィレンツェを追放された恨みから、『神曲』において彼を地獄に落とされた者として描く。一方で、クレルヴォーのベルナルドゥスは、ダンテを導く案内人となり、彼に三位一体の奥義を教示する。

2024年3月1日金曜日

サムエル記上 「サムエル」(2013年10月6日)

サムエル記上 「サムエル」(2013年10月6日)


 

 「神の名」という意味が込められた名前を持つ「サムエル」は、紀元前11世紀、士師時代の末期から王国創設時代にかけて活動した預言者、指導者です。彼は、他国との戦闘を指揮する士師としての働きもすれば(7:3-14を参照)、同時に祭司や預言者としても活躍したマルチな人でもありました。また、来週扱う人物であるサウルを最初の指導者とする王制をイスラエルに導入するに際して、重要な役割を担ったことでも知られています。

 彼はまた、父エルカナと母ハンナの子でした。不妊に悩んでいたハンナは、主の前に涙の祈りを捧げ、それが聞き入れられ、そうして与えられた子がサムエルでした。ハンナが主に約束した誓い通り、サムエルはやがてシロの神殿祭司であったエリに「ナジル人」として預けられ、その後、彼は預言者としての召命を受けて立たされました。彼が初めて神の言葉を聞く体験をしたエピソードが、今回の聖書箇所に相当します。


 王制を望むイスラエルの民

 こうしてサムエルは、士師時代最後の士師とされ、ベテル、ギルガル、ミツパの各地を回ってイスラエルを治めました(サムエル記上7:15-17)。ところが、多忙を極めたサムエルもついに年老い、後継者の二人の息子が悪の道を進んだこともあって(サムエル記上8:3)、周辺諸国の脅威に悩んでいた民は、これらに対抗できる強いイスラエルを築き上げるために、王制への移行を切望しました。これは、サムエルに対する一種の裏切りにして反逆でもあり、「サムエルの目には悪と映った」(サムエル記上8:6)と述べられています。主ご自身も、「彼らの上にわたし(主)が王として君臨することを退けている」(8:7)と本質を見抜いていましたが、サムエルにサウルを立てることをお許しになったのです。

 後にサウルが主の命令に従わなかったため、サムエルはサウルを廃位し(15:23)、代わりにダビデを王として立てました(16:13)。サムエルはこうして、ダビデ王誕生にも大切な働きをした人物でもあります。「サムエルが死んだ。全イスラエルは彼を悼み、彼の町ラマに葬った」(サムエル記上28:3)。神の言葉の取り次ぎ、民の指導、政治変革に従事し、老齢に至るまで全力で駆け抜けた生涯でした。


 神の呼びかけの言葉を聞くサムエル

 今回の聖書箇所には、このサムエルがまだ幼い時に祭司エリのもとで仕えていた時代に、神の声を聞き、神の召命を受けた出来事が記されています。エリに預けられていたサムエルは少年にまで成長しました。「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」(3:1)という状況において、神が語られなかったことも事実でしょうが、一方で、人々は神の言葉を聞く耳を持たなかったということが大きいと言えましょう。ある日、サムエルは一人、「神の箱が安置された主の神殿に寝ていた」(3:3)ところ、主はサムエルを呼ばれました。サムエルは、エリが呼んだものと思いつつ、目がほとんど見えぬ彼に向かって、「ここにいます」と答えます。「お呼びになったので参りました」とエリに告げると、エリは、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言います。サムエルが再び就寝すると、主は再びサムエルを呼ばれました。再度エリのところに行くと、エリは「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と答えます。再び眠ろうとしたサムエルに、主は三たび彼を呼ばれました。今度ばかりはエリも事の真相に気づき、主がサムエルを呼ばれたのだと気づきます。そこで彼はサムエルに、「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい」と諭します。そうして「サムエルは戻って元の場所に寝た」ところ、主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれました。「『サムエルよ。』サムエルは答えた。『どうぞお話しください。僕は聞いております。』」(3:10)。

 この出来事が、サムエルが預言者として召される召命となり、神の言葉に耳を傾けこれに従うという、信仰者にとって基本中の基本の原体験となりました。


 まとめ

 サムエルは、士師時代から王政時代への変革期において、士師として、預言者として、そして祭司として活動した人で、人心が荒廃した困難な時代にあって、青年時代から高齢で亡くなるその時まで、民の指導に取り組み、ある時は子どもたちの問題で苦しみ、またある時は新たな指導者サウルとの確執に悩み、そうして身を粉にして働き通しました。

 彼の生涯は、第一に「神の言葉を聞く」こと、第二に「神の言葉を人々に伝えること」を軸としたものでした。誰も神の言葉を求めもしなければ、神の言葉を聞こうともしない人々が満ちた時代において、使命に生きることはどれほど辛いものだったでしょうか。もし皆さんが、神の言葉を取り次ぐ務めが苦しいと思ったならば、思い出して下さい。サムエルもまた、同じ闘いをしたことを。 大石健一

2024年2月29日木曜日

グレート・アウェイクニング

グレート・アウェイクニング Great Awakening


 18世紀前半から中葉、1720-40年代に掛けて、北アメリカ植民地において生じた信仰覚醒運動のこと。「大いなる目ざめ」という意。


 既に信仰復興的運動は、スコットランド系長老主義、オランダ系改革派、会衆派、バプテスト、イギリス国教会などの既存教会の一部で生じていた。主だったところでは、ニューイングランドではJ. エドワーズによって、中部植民地ではオランダ系改革派とスコットランド系長老派によって、既に信仰復興的な運動は始まっていた中、1739年にジョン・ウェスレーとカルヴァン主義の影響を受けたイギリスの説教家ジョージ・ホイットフィールドが巡回伝道を行ったことで、各地の信仰覚醒運動が次第に一つのムーブメントとして形成されていった。南部においても1750年以降、長老主義やバプテスト教会で同運動が拡大していった。


 信仰覚醒運動の背景には、既存教会の信仰的衰退、制度的疲弊に伴い、個人の敬虔さや宗教的感情の高揚が注目されるようになったことがある。その結果、既存教会の制度や権威とは別に、個々人が伝道や説教に専心するようなった。そして既存教会の権威は弱まり、個人の自発性や民主性という意識が芽生えるようになり、個人における信教の自由という発想が醸成されていった。


 また、各地で共通する運動が互いに連携を取り合い、大きな流れを形成するようになり、これによって社会変革が起こるという実例の一つにもなったと言える。同運動の余波は、1776年におけるアメリカ独立革命へと繋がっていった。


 一方、推進派と反対派の双方で確執と分裂が生じ、さらには推進派の中でもそれは進むことになったものの、その過程で多様な教派が誕生するに至った。

2024年2月14日水曜日

光の教会オルガンコンサート 2023年11月5日 楽曲解説の全文原稿

 2023年11月5日

茨木春日丘教会 <光の教会オルガンコンサート>

「J. S. バッハ『ライプツィヒ・コラール集』(第1回/全3回)と、

その他の珠玉のバッハ・オルガン曲」

演奏 臼井真奈

解説 大石健一


 挨拶

 ただいまから、茨木春日丘教会「バッハ『ライプツィヒ・コラール集』(第1回/全3回)と、その他の珠玉のバッハ・オルガン曲」を開始いたします。演奏される臼井真奈さんは、既に後方のパイプオルガンでスタンバイされています。私は、当教会の牧師をしておりまして、今回の進行と解説を務める大石と申します。

 コロナ前の2018年のオルガンコンサートで臼井真奈さんをお招きしまして、オルガンコンサートとしては、5年ぶりとなります。本日と同じバッハが作曲した「クラヴィーア練習曲集第3部」というオルガン曲集をプログラムといたしました。ただ、こちらのオルガン曲集、一つ一つの曲のみならず曲集全体も、バッハの非常に緻密な音楽構想でもって構成されていまして、解説が是非とも必要な楽曲でありました。そのため、今回のライプツィヒもそうですが、コンサートで演奏される機会も稀だと思います。

 それで臼井さんから私に、その解説をしてほしいと打診されて行ったのですけれども、プログラム含むレジュメがA4で13ページ、私の話す原稿が原稿用紙にして40枚という形になりました。

 そのコンサート直後の別れ際に、臼井さんから「今度はライプチヒコラール集でやりましょう」とご提案をいただいたものの、「え?ということはまた解説つきで?」と動揺して二の足を踏んでいたところ、あのコロナが始まりまして、伸び伸びとなったのです。しかし本日、「ライプチヒコラール集」を全3回に分けた中の第1回を開催する運びとなった次第です。今回、先のクラヴィーア練習曲集の時の解説の約半分には収めたのですが、私の解説がつきますこと、ご了承ください。臼井さんから「是非たくさん説明していただいたら嬉しいです」とお願いされていまして、もうそういう主旨のコンサートを開きましょうということで、今回も準備して参りました次第です。

 それでは、ライプチヒコラール集の楽曲に入りますその前に、まずはそれ以外のバッハのオルガン曲を聴いていただきたいと思います。今回のコンサートの前奏曲、プレリュードとしても相応しく、曲名は「プレリュードとフーガ ハ長調 バッハ作品番号545番です。それではどうぞ。


プレリュードとフーガ ハ長調 BWV545  6分(合計9分)


 第1セッション 9分(合計18分)

 プレリュードも済みましたところで、いよいよライプツィヒコラール集に入って参りたいと思いますが、解説をさせていただければと思います。簡単なレジュメと資料をプログラム3ページから記載していますので、そちらを見ながらでもよろしいかと思います。ライプツィヒコラール集全体の説明もありますため、このセッションと第3セッションがどうしても一番長くなっていまして、この第1セッションでは8分か9分ほどお時間を頂ければと思います。

 皆様の多くの方々は、バッハという人は知っているけれども、「ライプツィヒコラール集」って何ですか?と思われている方も多いでしょう。「ライプツィヒ・コラール集」とは、一言で言えば、バッハ作の、後ほど解説するところの「コラール編曲の曲集」、と差し当たりなります。

ヨハン・セバスチャン・バッハは、1685年に今日のドイツのアイゼナハという所で誕生し、1750年にライプツィヒで死去しました。65歳で亡くなったという計算になるでしょう。今、私は「ライプツィヒで死去」と言いました。そして、曲集の名前も、「ライプツィヒ」。そうです、ご推察の通り、バッハはライプツィヒにて生涯の最後の10年間を過ごしまして、その最晩年に至って、バッハは自らのオルガン集を自ら編纂いたしました。その意味では、自分の最後を意識しての、音楽家、オルガニストとしての、集大成のような位置付けになるというわけです。その際に集められたオルガン曲は、バッハがかつてヴァイマールという地において宮廷オルガニストを務めていた時代以降、彼が作曲してきた「コラール編曲」でありました。

 実は、そうした曲集にどの曲を含め、どの曲を含めないかで、大変ややこしい話があります。例えば、バッハ作品番号666番、667番の楽譜については、バッハが最晩年にほぼ失明状態になったために、義理の息子のヨハン・クリストフ・アルトニコルの口述筆記によって作成されたもので、これはどう扱う?というケースもあります。分けても、バッハ作品番号668番が特殊でして、楽譜の最初の1ページまで書かれて絶筆となって、「死の床のコラール」とも呼ばれていまして、最終的には別の人がそれを補って完成させたという、まるでモーツァルトのレクイエムのような曲もあります。詳細については最終回の第3回、その最終曲の折にお話しします。これを含めたり含めなかったりという分類があるのですが、668も含めた18曲を「ライプツィヒコラール集」と呼ぶという次第です。

 さて、ただいまから続けて3曲演奏される楽曲、659番から661番には、「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」という表題が付いています。こちら、何かと言いますと一言、讃美歌の歌詞でございます。当時の教会の讃美歌があって、その讃美歌の旋律を自在にアレンジして、一般会衆による賛美の導入としたもの、それが「コラール前奏曲」です。後代になりますと、それがそもそもの礼拝という設定から独立し、コラールというものを題材とした変奏曲、「コラール変奏曲」も作曲されるようになります。これらを総じて、「コラール編曲」と呼びます。その歴史的背景や繋がりについては、3曲続けて聴いていただいた後、改めてお話しするものいたします。

 次に、該当する讃美歌の歌詞に、どういったキリスト教のメッセージが織り込まれているかについて、手短かにお話ししておきたいと思います。「いざ来ませ」とは、「どうぞ来てください」という意味。異邦人とは、本来の神の民であるユダヤ人以外の民を指しますが、この文脈での意味は、<本来救われるに値しない私たち>と受け取っていいでしょう。十字架で死なれた後、復活されて天に昇ったイエス・キリストが、また私たちのところにやって来て、救済の業を完成される。これを教会の専門用語で、キリストの「再臨」、または「来臨」と申しますが、要は、再臨を待望する祈りがベースとなった讃美歌というわけです。この、キリストの再臨への待望を、かつてイエス・キリストが人間となって地上に来られたこと、すなわちクリスマスと重ね合わせます。そうして、再臨は未来においてキリストが来ること、他方、クリスマスは、かつてキリストが人となって世に来られたこと、この過去と未来、二つの「キリストが来る」という要素を重ね合わせてキリストを待望するのだということで、この「いざ来ませ」が歌われるということでございます。参考までに、お手元のプログラムに資料として、その讃美歌の歌詞を掲載しておきましたので、後ほどご覧ください。

 ところで、「待つ」「待望する」とは、総じて言えば、忍耐を伴う行動です。そして、辛い時ほど「待つ」ということを意識します。しかし同時に、クリスマスを待つということで、クリスマスのお祝い、その飾り付けをするような華やかな一面も伴います。ですので、忍んで待つという厳かな雰囲気と、待ち遠しい秘めたる気持ちの双方を感じ取っていただければ幸いです。

 次に、音楽上の事柄について触れたいと思います。コラール編曲は、元々の讃美歌の旋律を自在にアレンジしたものと先ほど申し上げました。ここで、臼井さんに「いざ来たりませ」の元の讃美歌を弾いていただきますので、皆さんに聴いていただきたいと思います。

讃美歌229 演奏

 いかがでしょう。この旋律が、非常に複雑に、形を変えて演奏されます。3曲続けてとなりますが、いずれもこんなにも違う曲になるのかと感じられるでしょう。同時に、一体どこに元々のメロディが?とも思われるでしょうが、時々立ち現れる旋律を聴き取れたら、もうその方は通の部類に入ります。

 最後の最後に技術的なこととしましては、1曲目の659番が、手鍵盤を2段使いつつ、さらに、オルガンというのは足のところにも鍵盤が並んでおりまして、それをペダルと呼ぶのですけれども、そちらが低音部で使用されます。

 2曲目の660番は、コラールの旋律、これを定旋律と呼ぶのですけれども、そのパートと共にバスが二重にありまして、合計3声の楽曲ということで、「トリオ」と。キリストが来るというのはいずれの場合でも、天から地上に降りる点があるために、バスで上から降りていく局面が幾つも顔を表します。

 3曲目の661番は、コラールのパートが手鍵盤ではなく足鍵盤の方に割り当てられている曲です。普通、メロディラインって手で弾きたくなりません?私は手でも弾けないですけど。それを足て弾くのですよ。曲の初めの方はフーガ的に力強く奏されていって、途中から足鍵盤コラールの旋律が加わっていきます。オルガノ・プレーノという指示が付いていまして、これはパイプオルガンの前面に見える金属製のパイプ、プリンシパル族を使ってという意味になります。ですので、音色も旋律も力強い曲かと思います。

 長らくお話ししまして恐縮です。それでは、演奏の方、どうぞお聴きください。


~ライプツィヒコラール集より~

Aus den Leipziger Chorälen 

「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」 Nun komm, der Heiden Heiland

- 2段手鍵盤とペダル (コラールはソプラノ) BWV659 

- トリオ (2重のバスとコラール) BWV660 

- オルガノ・プレーノ (コラールはペダル) BWV661 


 第2セッション (6分 合計)

 いかがでしたでしょうか。このセッションでは、先ほど後回しにしたところの「コラール」、そして、キリスト教会における讃美歌の歴史をザッと見たいと思います。

 「コラール」とは、一言で言えば、教会の礼拝において会衆によって唱和される讃美歌のことです。そもそもキリスト教において讃美歌は、初期キリスト教時代ではキリスト教徒によって普段から口ずさまれていたものだったのですけれども、キリスト教がローマ帝国によって公認されますと、良い点としては格が上がって、礼拝は公的な儀式としての格式ある位置を獲得していきました。ところがその一方で、一般民衆的な参加という形は失われていきます。そうして古代時代から中世時代以降に掛けて、賛美は聖歌隊のような専門職の者たちのみが行うようになり、一般会衆はそれを聞いているだけというスタイルとなっていきました。しかも、その歌詞はラテン語でして、母国語しか知らない人間にとっては理解できないものでした。そもそも礼拝で使用される言語も、西ヨーロッパ全体に広がったローマ・カトリック教会の全てにおいて、ラテン語で統一されていました。

 それが近代に差し掛かると、ヨーロッパの各地でナショナリズム(自民族や自国の自治独立と独自性を主張する運動)が、急速に高まっていきます。聖書を英語に翻訳しようという流れも生じていきます。そんな時代に現れたのが、宗教改革者マルティン・ルターでした。彼は聖書のドイツ語訳を成し遂げたばかりか、母国語、すなわちドイツ語による讃美歌の作成、礼拝への導入に貢献しました。そうしてドイツのルター派教会で、会衆全体で、母国語ドイツ語で歌われるようになった讃美歌こそ、「コラール」に他なりません。

 元々の「コラール前奏曲」、総じて「コラール編曲」とは文字通り、会衆讃美の前に演奏される前奏曲です。コラール前奏曲では基本、元になっているコラールのメロディが主題とされています。それが変奏されたり、拡大されたり、時には異なるメロディも加わったりなど、変幻自在な変化を伴って全体が構成されています。

 もう一つ、音楽様式の変化の歴史についても、軽く触れておきましょう。古代から中世においては、例えばグレゴリオ聖歌のような<単旋律>が主流でした。それからルネサンスを経ていく時代になると、「ア・カペラ」ーー言葉そのものの意味は「礼拝堂にて」というもので、器楽伴奏のない歌唱になりますがーー、単旋律から複旋律(ポリフォニー)へと発展します。一つの旋律線に対して、別の旋律線が同時進行する方式を、「対位法」と言います。対位法は、音楽好きを「楽理」嫌いにさせるボス役みたいな気もしますが、ごく簡単には「カエルの歌」を想像されたら早いかと思います。複数の旋律同士が模倣して追い掛けっこしたり、先を越したり、そういったものが、いわゆる「カノン」とか、「フーガ」とされていきます。こうした抜きつ抜かれつの追い掛けっこは「パレストリーナ対位法」と呼ばれるのですが、長調短調の「調」と、和音としての重なりを重視した方式がバッハによって確立されて、これを「バッハ対位法」と呼びます。話はコラールに戻りますけれども、「コラール」の時代になると、現代の讃美歌に通じるような四声部構成で、しかもメロディ重視、和音重視の曲が主流となっていきました。

 ということで今出たフーガ。ここで一旦ライプツィヒから離れての別の曲ということで、「フーガ ト短調、バッハ作品番号578番」を聴いていただきましょう。同じト短調の「幻想曲とフーガ」(542)と区別するため、542を「大フーガ」、こちらの578番を「小フーガ」と呼ぶのが一般的です。いわゆる有名な「小フーガ」ですね。それではどうぞ。


フーガ ト短調 BWV578  Fuge g-Moll


 ただいまから、10分間の休憩を取りたいと思います。トイレは2箇所あります。隣の建物ホール1階と、もう一つ、丸い木造家屋の1階にバリアフリーのトイレが設置されています。


~Pause~


 第3セッション

 さて、後半部分が始まります。曲目は、ライプツィヒ・コラール集より、バッハ作品番号662番、663番、664番です。この3曲の下地にあるコラールは、「いと高きところにまします神にのみ栄光あれ」という歌詞で始まる讃美歌となっています。資料の方に、讃美歌21の37番の翻訳を掲載していますので、そちらをご覧いただけますでしょうか。このセッションでは、敢えて歌詞を読ませていただきます。

1 いと高き神に 栄えあれ、とわに。 その慈しみを たたえ、感謝せよ。

 みこころに適う 人々すべてに

 神に栄光あれ、ですから、神の栄光を讃える、ないしは神に栄光を帰す、という主旨の讃美歌であることが、まず明瞭となっています。バッハと言えば、自律譜の結びに、SDGと書くのを常としていたことが有名です。SDGとは、ラテン語でSoli Deo Gloriaの略で、神にのみ栄光あれ、という意味です。自分の栄光を得るためではない、誉れと栄えは神にあるべきと思いつつ、作品の一つ一つを作っていたというわけです。そういうバッハとの関わりとしても、重要な意味を持つコラールと言えましょう。次に2節。


2 父なるみ神を ほめたたえ崇めん。み旨に従い 世を治めたもう。

 み国と力と 栄光は常に すべて神のもの

 また、父なる神が出て参りました。これを念頭に置いて、次の3節。


3 主イエス・キリストよ、神の独り子よ、この世の罪咎(とが) あがなう小羊。

 我らを憐れみ、ささぐる祈りを 受け入れたまえや。

 イエス・キリストが出てきました。「独り子」とは、父なる神の父に対して、子なる神という意味でして、クリスチャンが神の子と呼ばれるのと区別する意味で、子なる神と呼ぶ。それはお一人ですから「独り子」と書くという、元は新約聖書のヨハネ福音書で特徴的な表記です。「小羊」とは、十字架で自身が処刑されることを、罪の贖いとされる犠牲の小羊とかけたもので、要はキリストの十字架死、受難死と関連しています。で、次の4節。

 

4 聖霊の神よ、慰めたもう主よ、 迫り来る悪を 打ち砕きたまえ。

 「聖霊の神」が出てきました。この歌詞の内容、この順序。勘の良い方ならもうお気づきでしょう。父なる神、子なる神、聖霊なる神、の三つで、三位一体の神が表されております。従いまして、神に栄光を帰す讃美歌でありつつ、神の三位一体性が明示された讃美歌ともなっていて、キリスト教の教義上でも核心部分のものです。

 もう一つ。この主題のコラール編曲、3曲並んでいます。先ほどの「いざ来ませ」も3曲。なぜ3なのか。それは、三位一体の3に掛けているからであります。こうしたバッハの特性は、前回のコンサート「クラヴィーア練習曲集第3部」でも、集中的に取り上げたことでした。バッハという人は、こうした楽曲の並べ方、数、配置、さらには個々の楽曲の楽譜の形にも、キリスト教の神学的な内容を随所に埋め込んでいます。その音楽の演奏を聞いてたとえ誰も分からなくても、それでもこうした隠し技のようなものを幾つも埋め込んでいるところに、バッハの音楽哲学と信仰の深さが満ちています。

 次に、楽曲の技術的なことについて簡単に触れておきましょう。まずは、臼井さんに元々のコラールを弾いていただきます。

讃美歌21 37番

 これからの3曲の長さはそれぞれ、8分、7分近く、5分半ですので、少々長めとなります。また、それぞれ、イ長調、ト長調、イ長調の曲です。

 1曲目の662番は、2段手鍵盤とペダルを使用し、コラール旋律はソプラノに割り当てとなっています。楽譜にアダージョとありますので、寛ぐようにゆっくり目、という速さであると。ソプラノは、3声の序奏しばらくしてから入って来ます。ちょっと眠くなる感もあり、コラール旋律が装飾されていて分かりにくいですし、オルガン曲としてあまり有名な曲ではありませんが、バッハのオルガン曲でも屈指の美しさであるかと思います。終盤の終盤で、コラール旋律が急に上がって地の底まで降りてポンと上がった後、全パートと共に完全停止して、また降りて上がってエンディングとなる辺り、キリストの降誕、復活、再臨がやはり込められているかもしれません。私が今回、最もゾクゾクした部分です。

 2曲目の663番も2段手鍵盤とペダルの仕様ということで1曲目と同じですが、コラール旋律はテノールに割り当てとなっているのが特徴です。楽譜にカンタービレとありますように、華やかさと明るさがありつつも抑制の効いた曲と感じています。3分の2辺りで、テノールのコラールが、不安定に降りていって一気に駆け上って、また降りていくところ。ここもキリストの降下・上昇・降下を思わせて、意味深ですね。そして終盤で、テノールが連続全音符で鳴り続け、バスが同様にテノールに続いて結びに至るのが、個人的には圧巻です。

 3曲目の664番は、トリオとあります通り、手鍵盤二つとペダルによる3声の曲です。コラール旋律の要素は一番薄くて、終盤で顔を出す程度なのですが、天使の軍勢がヒラヒラと天と地上に舞い上がり舞い降りるのが描写されているという解釈もあります。リズミカルさと、複雑に曲調が微妙に変化していくグラデーションが、個人的には美しいと感じております。

 長口上はこれまでとして、それではお聴きください。


~ライプツィヒ・コラール集より~

「いと高きところにまします神にのみ栄光あれ」

- 2段手鍵盤とペダル (コラールはソプラノ) BWV662 8分

- 2段手鍵盤とペダル (コラールはテノール) BWV663 6分40秒

- トリオ BWV664 5分20秒


 第4セッション

 今回の第1回は、ライプツィヒ曲集についてはここで留めておきたいと思います。最後はライプツィヒから離れての1曲となります。オルガン・コンチェルト イ短調、作品番号593番です。このオルガン曲、編曲となっていまして、原曲がヴィヴァルディのコンチェルト、協奏曲、作品番号3-8であり、二つの独奏ヴァイオリン、そして弦楽器及び通奏低音のための曲。アレグロ、アダージョ、アレグロと続く3楽章構成です。

 タリタリタリという繰り返しのところの一部は、一つの手鍵盤で二重に弾きつつ、それをさらに二段にしていて、さらに足鍵盤にも割り当てがあるという曲になっていまして、部分的には足鍵盤も二重に弾くという演奏が求められています。

 とにかくヴィヴァルディっぽい曲ですが、私はこちらのオルガン編曲の方が、変幻するリズムと旋律、その音符の一つ一つがシャープに脳みそに刺さってきて、とにかく気持ちいい曲と思っています。このコンサートの内容の性質上、アンコールはなく、本曲をもって結びとなりますこと、ご承知おきください。それでは、第3楽章のアレグロで終幕ということで、第1楽章からお聴きください。


オルガン・コンチェルト イ短調 BWV593 (アレグロ) - アダージオ - アレグロ

Concert nach Vivaldi a-Moll (Allegro) – Adagio - Allegro  12分



<アナウンス>

・挨拶


・次回と次々会のオルガンコンサートの日程。


・礼拝案内


・臼井さんのCD販売。1枚2500円、当教会のオルガンで録音。今回の在庫のみ。


・教会のポストカード販売

 1000円ご献金いただいた方に、安藤忠雄さんサインが入った1枚含む7枚セットをお分けします。